パッサナーのブログ

日々、考えたこと、行動したことを、書いています

睡眠不足で死ぬかもしれないと思ったときには、無理をして職場に行かない

睡眠不足で死ぬかもしれないと思ったときには、無理をして職場に行かない方がよいです。
無理をして職場に行って死んでしまっても、職場の人が責任をとってくれる訳ではないからです。

今朝は起きたときから体調が悪く、一日使い物にならないと思いました。
昨夜の就寝は 2:45 で起床は 6:45、睡眠時間は 4:00 です。
月・火・水・木と就寝が 2:00 から 2:30 で、睡眠時間が 4~5 時間でした。
若い頃ならいざ知らず、55歳の身にとって、これはなかなか厳しい数字です。

年を取ると睡眠時間が短くとなると言いますが、恐らくまだ、その域には達していません。
睡眠時間は体感的に、不調ではあるが無難にやり過ごすなら 6時間 、好不調なく坦々と過ごすなら 7時間、好調の域に達し頭も冴えると言うなら 8時間が必要です。
なお、頭の冴えは自分比です。
この体感基準を考慮すると、睡眠時間が連日4~5時間というのは、かなりコンディションが悪いと言えます。

朝、スマートフォンのアラームが鳴ります。
ようやく腕を伸ばし、かろうじてアラームを停止します。
あぁ、まったく起きたくない・・心も体も、一切の活動を拒否している。
職場にメールを入れて、あと2、3時間寝てから、遅れて行ったって問題はありません。
それでも私を突き動かすのは、職場の上司・同僚への気遣いです。

着替えて顔を洗っても、スッキリしません。
鏡には、目の下に隈のできた、生気のない顔が写っています。
食後の歯磨きにはクリニカフレッシュミントを使っているのに、まるでザルツライオンを使っているかのようです。
上着を着たものの、家をでるリミットまでまだ5分あります。
少しでも仮眠をしようと、居間の座椅子に座り込んで目を閉じますが、5分はアッという間です。

地下鉄の駅までがえらく遠く感じます。
電車に乗り込むと、案の定座席は空いていない。
1つの吊革に両手でつかまり、組んだ手に垂れた頭をもたれかけ、そのまま仮眠を取ります。
乗換の駅まで10分ちょっと、この時間が貴重です。
職場に着いたときには疲れ果てています。
睡眠時間が連日4~5時間というのは、こういうことです。

私は今日、可能性としては、死ぬことだってあると思いました。
倦怠感がひどく頭が重い、そして朝から複数回、動悸に見舞われました。
以前、同じように睡眠不足が続いたとき、地下鉄の中で動悸に見舞われ、気が遠くなり立っていられなくなりました。
このときは到着していた駅で降り、必死で事務室にたどり着き、休憩室で寝かせてもらいました。
そんなこともあり、急性心筋梗塞などになる可能性が、ない訳ではないと考えていました。

このときに思いました。
職場の上司・同僚に気を遣い、無理をして職場に行き死んでしまったら、どうなるのだろうか。
これは、どうなる訳でもありません。
遺族への連絡、訃報のお知らせ、デスク周りの片づけ、事務的な諸手続きが淡々と進められ、感覚的には2,3日もすると、私が死んだことは職員の意識に上らなくなります。
一瞬、えっ、そうなの、とはなりますが、これは条件反射です。

人は他人に対し、デフォルトでは関心を持っていません。
(関心を持つのは、意志と努力によります。)

気を遣った相手である上司・同僚も、基本的には同じです。
ましてや、私が死んだ責任をとることもないですし、そのいわれもありません。
上司・同僚に勝手に気を遣い、無理をして勝手に職場に行き、勝手に死んでしまったということです。
それだけです。

だから私は決めました。
今度、睡眠不足で死ぬかもしれないと思ったときには、職場には行かないと。
誰にとっても、それが正解ではないかと思います。

なお、睡眠不足で引き起こされるのは、急性心筋梗塞のような急性疾患ばかりではありません。
長期的には、免疫機能の低下によるがん発生のリスクが高まります。
これも、睡眠不足であるならば、二度寝してでも睡眠時間を補うのがよさそうです。