パッサナーのブログ

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大学院の講義での発表と発表資料の作成 - 講義を進めるのは学生であること

今週から大学院の講義が本格的に始まりました。
各科目とも初回の講義からプレッシャーを感じています。
講義の意味を引くと、「書籍や学説の内容や意味を解きあかすこと。また、教授者の説明によって行なわれる授業。また、大学の授業をさしていう。」とあります。(精選版日本国語大辞典より)
普通、講義とは、教員が学生に知識などを教授することを言います。

しかし、大学院の講義は違いました。
そのスタイルは、教員が学生に知識を教授するばかりではなく、学生が科目の内容を調べて発表するというものです。
むしろ、そちらのウェイトが大きい。
その発表が講義のとっかかりとなり、そこから、発表内容について教員と学生による議論が始まります。

1学期は標準的には15回の講義があり、そのうち1回ないしは2回、発表する機会が回ってきます。
担当となった学生は事前に発表資料を作成し、講義当日に発表します。
発表資料はほぼパワーポイントで作成されます。
パワーポイントの操作をしたことがなければ、まず、操作を学ぶ必要があります。
発表資料を作成する前提として、パワーポイントの操作を知っておかなければならないということです。

私は、昨年の科目等履修生のとき、若干パワーポイントを操作したことはあります。
1学期で2回の発表があり、発表資料はパワーポイントで作成しました。
そのときは、なんとなくこうかなという感じで操作していました。
ですから、文字のフォント、図表や写真の単純な貼り付けなど、基本的な機能しか使っていません。
凝ったデザインや複雑なレイアウトはなかったです。
一言でいうと、文字と、ただ貼り付けた図表と写真だけの、面白くない発表資料でした。

しかし、こうも考えます。
発表資料の役割とは、情報を過不足なく他人に伝えることです。
もし、純粋に情報を伝えるだけならば、文字だけでもその役割は果たせるのではないか。
どうしても文字だけで伝えきれない場合は、図表や写真を貼り付ければよい。
それも、凝った貼り付けをするのではなく、単純にそのまま貼り付ける。
これでよいのではないか。

文章も、図表や写真の貼り付けも、凝ったデザインや複雑なレイアウトにすれば、より分かりやすくなり、面白くもなるのかも知れません。
しかし、それは+αです。

最低限、伝えるべき情報を伝えること。
情報を過不足なく伝える。
これだけ考えておけば、今の私の操作レベルでもできるはずです。
まずはここを目指すべきです。

話を講義に戻します。
私がプレッシャーを感じたのは、発表担当になった回の講義は、私の発表がなければ始まらないということです。
発表がすべての起点となる。

昨年の科目等履修生のときに発表は経験済みですが、当時は1科目でした。
しかし、本格的に大学院生となり、多くの科目で発表担当が回ってきます。
今の私では、これは大変なことに感じられます。
授業は受動的なものではなく、極めて能動的です。
指導するのは教員ですが、授業を進めるのは学生です。
起点となるのも学生です。

初回の講義で、先々の講義の発表担当を決めます。
そのとき感じたのは、ほかの大学院生はそれを当然のように受け入れていることです。
大学生からそのまま大学院に入ってきた学生は、恐らく3年生、4年生でゼミに所属し、同じような形式で講義を受けているでしょう。
だから、この形式に慣れているのかもしれません。
また、パワーポイントの操作にも習熟しているでしょう。

私は、一応職場では、仕事に関して説明する機会はありました。
しかし、ゼロから調べて発表資料をつくり、その内容についても責任を持つ、というものではありませんでした。
とくに、大学からストレートで上がってきた学生と比較すると、意識も含め、この点が不十分であると感じます。

今日は文理融合政策事例研究という授業を受け、私の発表担当は7月中旬となりました。
発表時間は約30分とのことです。
時間の長さから、発表資料もそれなりのボリュームが必要でしょう。
いまからパワーポイントをさわり、操作に慣れるようにします。

この科目は、外部から招聘された専門家により講義が行われます。
各回の講師は決まっていますが、関係資料はまだ示されていません。
関係資料が示されたらすぐに読み込み、発表資料の作成を開始する必要があります。

講義のテーマは決まっているので、今からそのテーマについて下調べをしておきます。
テーマは、メディアの量的テキスト分析です。
これに関する、現時点での知識はゼロです。
がんばれ自分。