パッサナーのブログ

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大学院の講義の重い負担感について - 学生の能動性が徹底されていること

先週の金曜から大学院の授業が始まり、土日を除いて今日で3日が過ぎました。
どの科目も、初回の講義はオリエンテーションです。
オリエンテーションの意味を調べてみます。

① 進路、方針を決定すること。また、その説明。
② 学校、会社などに新たにはいって来た人たちに対する説明、講習。ガイダンス。
(精選版日本国語大辞典より)

実際このとおりで、初回の講義では講師の自己紹介、受講者の自己紹介、授業の目標、到達目標、授業計画、講義資料の提供方法、講義における発表の方法、レポートの提出方法、準備学習(予習・復習)等の内容と分量、成績評価の基準と方法などについて説明されます。

どの講義も、説明される項目は概ねこのとおりですが、その内容は講義によって随分と異なります。
それだけ、担当教員の方針と個性が反映されています。
大学院らしいです。
授業計画も、受講する学生の顔ぶれとそのバックグラウンドを考慮して計画を修正するなど、柔軟性を感じました。
大学院の講義は生ものである、という印象を受けます。

講義には、履修が必須の必修科目と、履修が必須ではない選択科目があります。
必修科目は受講者の人数が多く、教員が学生に対して知識を教授するという、比較的オーソドックスな講義の雰囲気があります。
しかし、それは雰囲気だけであり、多くの講義では学生による発表と、それをもとにした議論が行われます。
そこはやはり、大学院の授業です。

なお、必修科目を中心に、オーソドックスな講義はあります、念のため。

選択科目は、受講者の多い科目もあれば少ない科目もあります。
受講者の少ない科目では、実際5人、6人という科目もありますが、少人数ならではの濃密な講義が行われそうです。
受講者が多い科目も、多くの講義では学生による発表と、それをもとにした議論が行われます。

今日まで複数の科目を受講しましたが、多くの講義が学生による発表と、それをもとにした議論という形式がとられています。
講義において、ここまで学生の能動性が徹底されているとは、想像もしていませんでした。
受講する講義、受講する講義、この形式がとられるので、面食らっています。

発表の機会は必ず回ってきます。
与えられた原稿を読むのではなく、教科書や資料を読み、発表内容を一から作り上げなければなりません。

教科書や資料の要約でよいのか、それではダメなのか。
昨年度は、要約でよい科目もあったように聞いています。
しかし、私が受講した科目については、要約ではなく、教科書や資料の内容に関する事例を調べて発表する、となっています。
また、関連論文を自分で探し、その内容と事例について発表する、というものもあります。
大変です。

今日で履修を検討している科目の約半分を受講しましたが、すでに発表の準備に負担を感じてます。
残りの科目の負担がどの程度になるのか分かりませんが、これまでと同じくらいと予想されます。
精神的に重さを感じます。
しかし、やるしかありません。
やるだけやったら、あとは神のみぞ知るところです。