仕事から帰宅して夕飯を食べ終わったいま、すこぶる体調が悪いです。
その理由は、昨夜ほとんど眠れなかったことにあります。
1時半には布団に入りましたが、そこからずっと眠れません。
眠れないときというのは、妄想が頭の中を駆け巡ります。
映像、音楽、言葉、等々、頭の中で渦を巻きます。
何かを思おうとしなくとも、自動で思いが巡る。
それを押しとどめようとしても、思いの圧力は強く、次から次へと湧いてきます。
眠れなくても、眠っているのと同じ状態を目指すことはできないか、と考えます。
それには妄想を止めることです。
自動でぐるぐると回る映像、音楽、言葉から意識を引き離します。
やりやすいのは、自分の呼吸に集中することです。
まずは、呼吸することに意識のすべてを投入する。
一息吸って、一息吐いて、一息ごとに全力で集中します。
さらに、一息の3分の1、一息の3分の2、というように一息を分解して、そのそれぞれに意識を集中させる。
一息と言えども、分解された一息の集合です。
分解された一息への集中が、全一息への集中につながります。
しかし、分解された一息に集中しようとしても、映像、音楽、言葉といった妄想が、集中を妨げます。
一息に集中していたつもりが、いつのまにか妄想に飲み込まれています。
これじゃいかん、集中集中、という言葉も妄想です。
そう言っているときに、一息に集中していないのです。
一息に集中するときには、無心です。
言葉はなしです。
昨日は、明け方の1時間ほどを除き、一晩中起きていたという感覚があります。
その間、随分とながい間、一息に集中を繰り返していました。
前半はなかなか集中することができず、頭のなかは妄想に取り込まれます。
しかし、それでも一息に集中することを続けていると、次第に妄想の勢いが弱まってきます。
いや、集中する意志の力が強くなったのかも知れません。
時間が随分経った頃には、妄想は影をひそめるようになりました。
頭のなかで、映像、音楽、言葉が流れません。
一息の3分の1、一息の3分の2と集中し、結果、一息に集中できています。
頭のなかで妄想が回りません。
頭のなかで妄想が回らないことに対しては、睡眠と同じ効果が得られるのではないかという期待があります。
睡眠と同等、とまでは行かないかもしれませんが、妄想が頭で渦を巻いている状態と比べると、脳への負荷も雲泥の差ではないか。
そう期待してしまうのです。
そうすると、ずっと眠れない間も、一息に集中して妄想を断ち切りさえすればよい。
もしこれが本当だとすれば、眠れないという悩みはなくなります。
朝まで眠れないのであれば、その間ずっと、一息に集中していればよい。
練習することによって、恐らくそれは可能になります。
実際、昨日の一晩だけでも、進歩を感じることができました。
さらに言えば、一息に集中するということさえも、しなくなるかも知れません。
一息に集中するということは、一息、一息、という言葉が、心のなかに浮かんでいます。
一息は言葉です。
言葉も妄想です。
ですから、一息に集中をより進化させて、ただ、妄想が断ち切れている状態を目指すとよい。
そこには既に、一息に集中はありません。
ただ、妄想の一切ない、穏やかな地平があるだけです。
できればそこを目指したい。
布団に入った瞬間からこれができれば、それはもうほぼ睡眠。
朝まで一睡もできずに苦しむ、ということはなくなりそうです。
こうは書きましたが、私はこの域には到底達していません。
それでも、一息に集中は、昨日の晩だけでも進歩を感じました。
修行を続けていれば、いずれ到達できる境地かも知れません。
ちなみに、一息に集中は、ヴィパッサナー瞑想の考え方を取り入れています。
ヴィパッサナー瞑想は、自分の動きの、その瞬間瞬間を観察するという瞑想です。
例えば、手を上にゆっくりと上げて、「上がっている、上がっている」と、動きの瞬間瞬間を観察します。
これは呼吸もそうです。
いま吸っている吸っている、いま吐いている吐いていると、吸っている瞬間瞬間、吐いている瞬間瞬間を観察します。
これは以前やっていたことがあり、そのことが、今回の一息に集中に生きていると言えそうです。
ともあれ、今日はもう床に就きます。
また眠れなかったらどうしようって?
それはもう、一息に集中です。