パッサナーのブログ

日々、考えたこと、行動したことを、書いています

ノートに書くことは役に立たない、を否定できるか

ノートに書くことは役に立たない、最近そう感じています。
しかし、これを否定できるだろうか、ということも考えています。

何かを考えついたとき、本を読んだとき、ネットでよい情報を見つけたとき、気になる言葉を調べたとき、よくノートにその内容を書いています。
書く内容はこのほかにも、たまたま利用した交通機関の時刻や運賃、どこかに提出する書類のリスト、料理をするときに調べたレシピ、等々、種々雑多です。
種々雑多なので、こうしたノートには「雑記帳」「総合的な記帳」などのタイトルをつけています。

本棚に、最近のノートがあったので取りだしてみました。
4冊あり、どれもA4サイズで40枚綴りです。
ノートの右上に、書き始めと書き終わりの日付を入れています。
1冊目の書き始めは一昨年2022年9月23日、2冊目、3冊目ときて、4冊目の4分の1を昨年2023年12月までに書いています。
使ったノートは1年3か月で3冊強です。

しかし最近、ノートに書くことは役に立たないのではないか、と思うようになりました。
この疑念を拭えないため、年明け以降はノートに書くことをしなくなりました。

4冊のノートを眺めて湧いてきた疑問は、これまで一度でも、ノートを開いて読み返したことがあるだろうかということです。
書いて間もないときには、用事を足す必要から、あれどうだったかなと見ることはあります。
しかし、見たとしてもそれだけです。
それ以外ではほぼ、読み返したことがありません。
何年も前に書いた他のノートも同じです。

今、適当に1冊を取ってパッと開くと、木炭について書かれていました。
どうやらこの頃、木炭に関心があったようです。
木炭はどのように作られるのか、木炭はどのような仕組みで燃焼するのか、などについて書かれています。

木炭は、木を竈(かまど)の中で蒸し焼きにして、揮発成分や分解生成物からなる木炭ガスを発散させてしまったもの、とあります。
また、木炭は無炎燃焼で、炭素の表面で炭素の酸化反応が起こり、二酸化炭素が生じている。
C(炭素)+O2(酸素)→CO2(二酸化炭素)、とあります。
また、「炭化」の意味を調べて書いています。

木炭の次は、投資について書かれていました。
NISA における分配金再投資とスイッチングについて、とあります。
スイッチングは、投資商品を入れ替えることです。
そう言えばこの頃は、投資について関心を持ち始めた時期です。

投資の次は、職場の仕事で納得のいかないことについて書かれていました。
担当者として防災訓練を実施したときの、上司の言動への疑問などについてです。
この頃、そんなモヤモヤを抱えていたようです。

今こうしたことを読んでも、何になるのかなという気がします。
あぁ、当時そんなことも調べていたっけ、こんな情報もあったな、くらいに思うだけです。
それなりの時間をかけて書いたことが、その後の人生で何一つ役に立っていません。

極めつけは、本の書き写しです。
読んだ本で、これは大事だと思うところを書き写していました。
本によっては10頁以上に渡りビッシリと、かなりの分量を書いています。
これは明らかにムダでした。
ノートを読み返すことは一切ありませんでしたし、そもそも読み返すときには、その本を読んでいました。
自分の汚い字よりも、活字の方が読みやすいです。

もしかすると、ノートを読み返さないのは、字が汚いからかもしれません。
読み返さないのではなく、汚い字を読むのが苦痛なので、読み返したくないのではないかということです。
書くときには、早く書こうとするので字が汚くなります。
誰に見せるノートでもないからです。
後から読んで読みずらいですし、文字の判別に苦しむこともあります。

もし、ノートに書かれた字が読みやすかったらどうでしょう。
読むのが苦痛ではありませんし、文字の判別に苦しむこともありません。
ここで思い出すのは、以前見た、読みやすい字で書かれた他人のノートです。
これは、本と同じように読めました。
読んでいて苦痛ではなく、字の読みやすさに引っ張られ、読み続けてしまう感じです。

読みやすい字でノートに書くことによって、苦痛なくノートを読み返せるようにする。
ノートに書くことは役に立たない、を否定できるとすれば、ここに可能性がありそうです。

ちなみに私の場合、ゆっくり書いても、そう読みやすくはならないのがツライところです。
字は小さい頃から練習しておくとよいですね。
絶対お得だと思います。