パッサナーのブログ

日々、考えたこと、行動したことを、書いています

研究とは因果関係を明らかにすること、について

大学院への準備として、
研究方法に関する本を、
読んでいます。
 
その中の一冊が、
高根正昭,1979,『創造の方法学』,講談社現代新書
です。
 
大学院受験の、
塾の先生に紹介されて、
昨年に読みました。
 
25年前に刊行された、
古い本ですが、
今でも、
読まれているようです。
 
最初、
創造の方法学、
というタイトルからは、
どんなことが書かれているのか、
イメージできませんでした。
 
しかし、
読み進めていくと、
確かにそれは、
研究方法に関する本でした。
 
研究とは、
創造なのかも知れません。
 
少なくとも、
勉強ではありません。
 
 
著者の高根さんは社会学者で、
1963年にアメリカに渡り、
スタンフォード大学と、
カリフォルニア大学に留学します。
 
そこで高根さんは、
研究とは因果関係を明らかにすること、
と、学んだようです。
 
高根さんは、
当時のアメリカの潮流を踏まえ、
「記述」と「説明」の違いを、
次のように書いています。
 
(自分の理解で表現します。)
 
 
「記述」とは、
物事を観察し、
それを正確に記録すること。
 
「説明」とは、
ある現象について、
原因と結果を、
論理的に関係させること、
つまり、
因果関係を明らかにすること。
 
そして、
「説明」の方が「記述」よりも、
一段と高度である。
 
社会学者であれば、
「記述」だけではなく、
「説明」を行うよう、
努力すべし。
 
 
もちろん、
正確な「記述」がなければ、
信頼できる「説明」はできない。
 
だから、
正確な「記述」は、
「説明」のための、
欠くことのできない前提となる。
 
しかし、
「記述」に終止するなら、
現象の理解を、
放棄したことになる。
 
(高根さんの書いていることは以上。)
 
 
このように、
当時のアメリカでは、
因果関係を示した、
「説明」的な研究は、
現象を記録した、
「記述」的な研究よりも、
高度であると認識されていました。
 
また、
研究者は自分の研究を、
「記述」的研究と言われると、
侮辱と感じたとのこと。
 
それほど、
「記述」的研究と、
「説明」的研究には、
差があったのです。
 
 
この本は、
研究の方法として、
①実験的方法、
⓶統計的方法、
③比較例証法、
④逸脱事例分析法の、
4つが紹介されていますが、
そのどれもが、
因果関係を明らかにすることを、
目的としています。
 
つまりどれも、
「説明」的研究です。
 
この本では終始一貫、
研究とは因果関係を明らかにすること、
という姿勢が貫かれています。
 
これが、
高根さんが留学した、
当時のアメリカの、
研究の潮流でした。
 
他の本を読むと、
現在では「記述」的研究は、
必ずしも、
「説明」的研究に劣るものではない、
とされているようです。
 
しかし、
今でもアメリカでは、
研究と言えば「説明」的研究、
つまり因果関係を明らかにすること、
という風潮は強いようです。
 
 
思い返してみれば、
私も本を読むとき、
「なぜ」そう書いてあるのだろう、
その根拠は?
と思うことが少なくありません。
 
因果関係を明らかにしたい、
と感じているのです。
 
こうした経験から、
研究とは因果関係を明らかにすること、
という側面は、
確かにあるように思えます。