パッサナーのブログ

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因果関係を明らかにする研究と、有様を明らかにする研究

研究方法について知るため、
昨年、
高根正昭,1979,『創造の方法学』,講談社現代新書
を読みました。
 
この本では、
研究とは因果関係を明らかにすること、
という思想が貫かれています。
 
事象の因果関係について言及することを、
「説明」と呼び、
因果関係を明らかにする研究を、
「説明」的研究と呼んでいます。
 
一方、
事象の有様について言及することを、
「記述」と呼び、
有様を明らかにする研究を、
「記述」的研究と呼んでいます。
 
そして、
「記述」は「説明」の前提として必要ではあるが、
「記述」に留まることは、
事象を理解しようとすることを、
放棄したことになる、
としています。
 
だから、
「説明」的研究は、
「記述」的研究よりもレベルが高い。
 
つまり、
事象の因果関係を明らかにする研究は、
事象の有様を明らかにする研究よりも、
高度であるとしています。
 
これが、
著者の高根さんが留学した、
1960年代のアメリカの、
研究の潮流でした。
 
 
私は考えました。
 
研究とは因果関係を明らかにすること、
については、
自然科学の研究を考えると、
理解できます。
 
自然科学の研究では、
自然法則を発見しようとします。
 
自然法則は因果関係で、
因果関係に言及するのは「説明」です。
 
だから、
自然法則を発見しようとする、
自然科学の研究は、
「説明」的研究です。
 
もちろん、
自然科学の研究でも、
その前提として、
自然界の有様を明らかにする必要があります。
 
自然界の有様に言及するのは「記述」で、
それを明らかにしようとする研究は、
「記述」的研究です。
 
それでも、
その研究は、
自然法則を発見しようとする「説明」的研究の、
前提でしかありません。
 
そこには、
研究水準の差があります。
 
 
しかし例えば、
歴史の研究はどうでしょう。
 
確かに、
歴史事象の因果関係を、
明らかにする研究もありますが、
歴史事象の有様を、
明らかにするだけの研究もあるでしょう。
 
例えば、
明治維新後における、
仙台藩片倉氏の北海道入植の有様を、
正確に精密に、
明らかにする。
 
これは、
歴史事象の有様を明らかにする、
「記述」的研究です。
 
それでも、
歴史学の分野では、
十二分な研究になるでしょう。
 
決して、
「説明」的研究に劣る訳ではありません。
 
 
そして、
歴史学の分野では、
「記述」的研究は多いでしょう。
 
ですから、
「記述」的研究は「説明」的研究に劣る、
と言うのは、
歴史学の研究は自然科学の研究に劣る、
と言っているようなものです。
 
これでは、
歴史学者の面目が立ちません。
 
それに、
歴史は依然として、
世界中で研究されています。
 
この事実を、
どのように考えればよいのでしょうか。
 
『創造の方法学』の著者の高根さんも、
1960年代のアメリカにおける研究の潮流も、
誤りだったのでしょうか。
 
 
ただ、今でも、
アメリカでの研究は、
因果関係が重視されているようです。
 
そこでは依然として、
歴史学は自然科学に劣るものとして、
とらえられているのでしょうか。
 
私には分かりません。
 
 
研究について書かれた本で、
小熊英二,2022,『基礎からわかる 論文の書き方』,講談社現代新書
があります。
 
歴史学ではありませんが、
そこに、
「記述」的研究に該当するであろう、
研究について書かれていました。
 
それは、
ある社会の人間が共有し、
暗黙のうちに従っている枠組みを、
明らかにする研究です。
 
枠組みが明らかになれば、
その社会における、
認識や意味づけの連関について、
因果関係を推論できるかも知れない。
 
しかし、
その因果関係はあくまで、
範囲限定のものとなる。
 
とあります。
 
従って、
範囲限定の因果関係はあるものの、
研究のメインは、
有様を明らかにしようとする、
「記述」的研究です。
 
『基礎からわかる 論文の書き方』では、
事象の有様を明らかにする研究と、
事象の因果関係を明らかにする研究とが、
対等にとらえられているように思えました。
 
ここは、
『創造の方法学』とは、
異なります。
 
研究について、
もう少し本を読もうと思います。