パッサナーのブログ

日々、考えたこと、行動したことを、書いています

30年働いた役所を実質辞めたこと、そして今後どう生きるのか

今日、30年働いてきた役所を辞めてきました。
正確に言うと2年間の休職ですが、復帰するつもりはないので実質退職です。
とは言え、2年間まったく収入がないと、抑えても800万以上が吹き飛ぶ計算です。
(なので、アルバイトはする予定。)
その時になって見なければ分かりませんが、預金激減を目の当たりにして狼狽し、職場復帰の道をたどる、という可能性もあります。
しかし、基本路線はあくまで新たな人生を送ることにあるので、職場復帰は最後の手段です。
その意味では、1つの保険とも言えます。

職場の数人には、休職中に大学院に通うこと、職場復帰は考えていないことを伝えています。
それだけに、職場復帰をするのはバツが悪いです。
職場の1人にそのことを伝えると、「いいんじゃないんですか、それはそれで。」と言われました。
これはそのとおりで、人はそうそう他人に関心を持ってはおらず、「あぁ、そうなんだ。」と思うだけです。
バツが悪いと感じるのは自惚れです。

現在の職場は私にとって、愉快なところではありません。
職場は総務部門と業務部門とに分かれ、私は長らく総務部門で、庶務・会計・労働安全衛生などを担当してきました。
仕事自体は嫌いではなく、大変なときでも充実感はありました。

ただ、40代の半ばから、総務部門と業務部門の処遇の差が気になり始めます。
50代に入るとその差はあからさまとなり、自身、受け入れ難い人事も経験しました。
そのようなことが重なり、仕事自体はよいのですが、私はこの組織が嫌いになりました。
だから、戻りたくはありません。

実際、30年働いてきたので、もういいんじゃないかと思います。
本格的に人生を方向転換するなら、今じゃないかと。
大学院を修了して57歳、そこから何かを始めて3年修行し、本格的に稼働するのが60歳。
男性の健康寿命は70歳ですから、10年ほど活動することができます。
あまり長いとは言えませんが、この年齢になってしまったものは仕方がありません。
残された時間を最大限に活用し、悔いのないように生きるだけです。

ただ、こうした青写真を描いては見たものの、肝心の何をするかはまったく定まっていません。
一昨年に学芸員の資格を取得したので、それを活かして博物館で働きたいという気持ちがあります。
しかし、そもそも学芸員の求人が少なく、また、年齢的な部分で博物館の就職は難しそうです。

博物館の求人で、知人からこんなのがあるよという案内はありました。
それは、ハローワークにでていた小樽市総合博物館の求人で、科学系正職員の育休取得による補充要員でした。
フルタイムで1年契約、業務は教育普及的なもので、実験教室の運営(科学分野も網羅しているので実験教室があります。)、プラネタリウムの投影、その他雑務も含めた博物館における様々な仕事、となっています。
科学系職員の補充要員ではありますが、一般的な科学知識の普及がメインなので、理系的な素養があれば文系でも大丈夫とのことでした。
ちなみに、私は理系的な素養はないので、ここがネックです・・

給与は、学芸員の有資格者の日給が1万程度で、月20万ほどになります。
ここから税金や健康保険・厚生年金などの社会保険料が控除され、手取りは16万くらいでしょうか。
これだけで家族が食べて行くのは、やや厳しいです。
夫婦共働きでなんとか、というところでしょうか。
それでも、博物館で働けるならいいなとも思えます。
学芸員の求人は多くないとは言え、鵜の目鷹の目で探してみれば、意外とあるのかも知れません。

あとは、博物館に限らず何でも、ですね。
福祉・介護の現場で働いてみるのもいいですし、タクシーの運転手だってありかも知れません。
仕事が遅くなると、駅から家までタクシーに乗ることがありますが、運転手と話してみると面白いです。
家の前に着いた後で、車内で人生相談をしたこともあります。
行きづまった役所人生をどうするのか、タクシーに転職したらどのくらい稼げるのか、等々。

運転手の一人は男性で、副業で自然食品販売の個人事業をやっており、名刺をくれました。
肩書が president です、すごい。
私よりも年上で、やり手の営業マンという感じでした。
話していると、ちょっと塞いでいた気持ちが明るくなります。
こういう人は、いいですね。

もう一人は40代の女性の方で、この道20年のベテランドライバーです。
稼ぎたいときには夜のすすきので客待ちするそうです。
一度、苫小牧まで乗せたことがあるそう。
札幌から苫小牧は60kmありますので、大口の客ですね。
まぁ、こういうのは稀なようですが。

ともあれ、明日からは晴れて自由の身、大学院に全力投球したいと思います。
がんばります。