昨日、
ブログで、
自分がとった行動を書くと、
読む人の参考になって有益である、
ということを書きました。
それでは、
行動ではなく、
自分が思ったこと、
もしくは感じたことを記事に書くのは、
どうでしょうか。
この場合、
行動について書かれた記事に比べ、
現実に役に立つという意味での、
有益の度合いは、
低くなりそうです。
行動について書かれた記事は、
具体的で、
読む人が、
その行動をなぞることができます。
あるいは、
自分の置かれた状況に応じて、
その行動をアレンジして、
なぞる。
行動するということは、
物理的に自分の体が動き、
周囲のヒトやモノに、
現実的な影響を及ぼすということです。
それが良い結果となるのか、
悪い結果となるのか、
一概には言えません。
しかし、
自分の行動が、
なるべく良い結果となるように、
記事に書かれた行動を読んで、
参考にします。
そういう意味で、
行動について書かれた記事は、
具体的で、
良い結果を出すための、
参考になります。
一方、
自分が思ったこと、
感じたことが書かれた記事は、
そこに、
物理的な動きがありません。
そこに書かれた、
思ったこと、
感じたことを、
頭の中でなぞっても、
何一つ、
物理的な変化は起きません。
周囲のヒトに対しても、
モノに対しても、
何も影響を与えません。
力がないのです。
いくら思っても、
いくら感じても、
傍からみると、
何の動きもありません。
例えば、
あぁ、今日は失敗したなぁ、
何であんな失敗したんだろう、
信頼をなくしちゃったな、
もうダメかも、
あぁ、悔やまれるなぁ、
なんて思っているとき、
これを記事に書いて、
いったい誰の役に立つのでしょうか。
このような思いを参考にして、
その思考をなぞるような人が、
いるのでしょうか。
恐らくいないでしょう。
となると、
少なくとも、
良い結果をだすための参考になる、
という有益性はありません。
しかし、
これは、
思考が後ろ向きだから、
ということではありません。
例えば、
さぁ、明日からダイエットだ、
目標は10kg減、
挫折しないように、
工夫して頑張るぞ、
と、前向きに思っているとき。
こうしたことを記事に書いても、
その思いだけでは、
良い結果をだすための、
参考にはなりません。
参考になるには、
食事の量と中身、
施した工夫の内容、
実際の体重の推移、
などです。
これらは全て行動の結果、
あるいは経過で、
具体的です。
そして、
自分の体に、
痩せるという、
物理的な影響が生じています。
さらにそれは、
周囲のヒトやモノにも、
影響を与えます。
痩せたらモテた、
というのもそうです。
ですからこの場合も、
有益なのは、
思考の先にとられた行動です。
やはり、
有益なのは、
行動について書かれた記事です。
ただ、
思ったこと、
感じたことが書かれた記事に、
有益性がないという訳ではありません。
人は、
人に共感する、
あるいは人に共感されるとき、
居心地を得たような、
ホッとする感覚を抱きます。
これは、
感じるということです。
それがポジティブなことであっても、
ネガティブなことであっても、
どちらもそうです。
思ったこと、
感じたことが書かれた記事を読み、
共感した、
あるいは、
共感されたと感じたとき、
安らぎを覚え、
心が満たされる。
思ったこと、
感じたことが書かれた記事には、
このような有益性はあります。
現実的な有益性の度合いは、
行動について書かれた記事が高いけれども、
思ったことや、
感じたことが書かれた記事にも、
有益性はある、
ということが言えそうです。