(2022.4.16、三笠市立博物館)
博物館での展示は往々にして、展示資料と展示解説がセットになっています。
そこでは、展示資料を見る行為と、展示解説を読む行為があります。
展示資料を見る行為は、通常必ず行われます。
展示資料こそ展示の主役であり、博物館を訪問する目的はまず、展示資料を見ることだからです。
一方、展示解説を読む行為は、必ずしも行われるとは限りません。
それは、博物館を訪問する目的や状況によります。
博物館が観光プランのモデルコースに組み込まれている場合、博物館の滞在時間は限られます。
博物館の見学を定時に切り上げ、次の観光ポイントに移動しなければなりません。
この場合は、できるだけ多くの展示資料を見ることが優先され、展示解説を読んでいる暇はありません。
一つ一つ展示解説を読んでいたら、展示資料の半分も見られなかった。
展示解説を読むのはそこそこに、とにかく全ての展示資料を見ることができた。
観光で博物館を訪問したことを考えると、どちらの満足度が高いでしょうか。
私は後者だと思います。
観光では博物館を訪問する目的が、その地方の情報が凝縮された、博物館全体の雰囲気を味わうことにある場合が多い。
個々の展示資料を詳細に見ることが目的ではない。
この場合も、展示解説は読まれない傾向にあります。
また、博物館を訪問する目的が、展示資料の外見的な魅力を堪能することにある場合があります。
この場合も、展示解説は読まれない傾向にあります。
景勝地を写実的に描いた端正な絵画、魅力的な裸婦を描いた官能的な絵画、色や線、形などで構成された抽象絵画など、展示資料のスタイルは様々です。
しかし、いずれもその外見的な魅力を享受すれば、展示見学の目的は達せられます。
展示解説を読んでいる時間がない、展示解説の情報は不要という場合、展示解説はそうは読まれません。
しかし、展示見学をするからには、展示資料に関する情報に全く興味がない、ということはないと考えられます。
このとき、展示資料のポイントをパッとつかめる展示解説があるなら、思わず読んでしまうのではないでしょうか。
時間がなくて詳細な展示解説は読んでいられない、展示資料の外見的な魅力を堪能できれば展示解説の情報は不要である。
博物館を訪問する目的は人それぞれで、展示解説に対する需要も様々です。
ですが、展示解説のスタイルを変えてみると、需要に変化が生ずるかもしれません。
展示解説を読んでいる時間がない、展示解説の情報は不要という場合、それは恐らく詳細な展示解説を前提としています。
極端に言うと、一面が文字で埋め尽くされた展示解説です。
しかしこれを、数行で、大きな文字を使い、その展示資料のポイントを端的に伝える展示解説にしてみます。
グラフィックを添えるとなおよいです。
これなら、展示資料の見学と合わせて、展示解説も読まれるのではないでしょうか。
博物館を訪問する目的に応じ、展示解説のスタイルを変えるということです。
展示解説への需要が少ないのであれば、スタイルを変化させることにより、需要を喚起します。
逆に、詳細な展示解説を求める人に対しては、それこそ一面が文字で埋め尽くされた展示解説を用意してもよいかも知れません。
しかし問題があります。
それは、一つの展示にスタイルの異なる複数の展示解説を設置することの難しさです。
まず、ポイントを押さえた展示解説と詳細な展示解説の両方を設置するスペースが確保できません。
たとえ両方の展示解説を設置できても、今度は、詳細な展示解説の存在感が、ポイントを押さえた展示解説を圧倒してしまいます。
場合によっては、展示が息苦しくなります。
解決策の一つとして、展示解説を電子掲示板とし、ボタンを押すことで展示解説を切り替えることが考えられます。
この場合、初期表示はポイントを押さえた展示解説とし、詳細な展示解説を読みたい人がボタンを押して切り替えます。
しかし、単にボタンを押すという行為も、展示ごとにそれを繰り返すのは煩雑になります。
途中で面倒になり、詳細な展示解説は読まれなくなります。
展示解説は、そこに書いてあるから読むのです。
詳細な展示解説を読みたいと思っても、わざわざ何らかの操作をしなければ読めないのであれば、恐らく読みません。
私の経験から言って、そうです。
それでは、展示ではポイントを押さえた展示解説だけを設置し、詳細な展示解説は別途解説シートを作成すればよいのではないか。
しかし、これは難しいです。
展示解説を読むのは、それが展示資料のそばにあるからです。
このとき、展示解説を読む行為は、展示資料を見る行為と一体となります。
これが、博物館で展示を見学することの醍醐味であり、魅力でもあります。
展示解説が展示資料と切り離されていては、その魅力が半減します。
博物館の展示解説は、展示資料のそばで読んでこそ味わいがある、ということです。