パッサナーのブログ

日々、考えたこと、行動したことを、書いています

博物館での展示見学で、展示解説を読むか読まないかは目的による

(2022.3.6、小樽総合博物館本館)

博物館で展示を見学するとき、私は展示解説を読む方です。
妻と娘は、展示解説はあまり読みません。
ですから、見学ペースに大きな差があり、いつも妻と娘を待たせてしまいます。
前回の記事で、展示解説を読む理由は展示資料の価値を知るためと書きました。
展示解説には、展示資料の性質や構造、由来や歴史が書かれています。
それらは展示資料の価値を構成しており、展示資料を読まなければ知ることができません。

例えば、石器時代の鏃(やじり)などは、解説を読まなければただの三角形の小石です。
縄文遺跡の竪穴式住居跡は、解説を読まなければただの地面の窪地です。
もちろん、展示資料には外見的な価値を備えているものもあります。
宝石と貴金属からなる美術工芸品や、贅をつくした建築装飾などはそうです。
しかし、知り得る価値は外見的な価値までで、その奥に広がるさらなる価値の世界に足を踏み入れることができません。

そもそも外見的な価値に乏しい展示資料もあります。
上で書いた鏃や竪穴式住居跡もそうですが、例えば、展示資料が昔農家で使用されていた唐箕(とうみ)である場合、それは決して外見的な価値を備えている訳ではありません。
しかし、展示解説を読むことによってこの唐箕が、各種の穀類を風力を利用して選別する農機具であることが分かります。
この農機具としての機能を、実物をもって現在に伝えていることが、展示資料としての唐箕の価値です。

外見的な価値を除けば、展示資料の価値は、展示解説を読むことによって初めて知ることができます。
それでは、解説を読まない場合、展示見学に意味はないのでしょうか。
そういうことでもありません。
そもそも、博物館を訪問する理由は人それぞれです。

それこそ、展示資料の外見的な価値を求めて行く場合があります。
絵画、彫刻、美術工芸品などは、その外見的な美しさで見る人の目を楽しませます。
この楽しみを目的に博物館を訪問する人は、展示資料の外見的な価値を享受することで満足します。
この場合は展示解説を読む必要がありません。

観光ルートに博物館が組み込まれている場合も、展示解説はあまり読まれないでしょう。
その日の観光ポイントはほかにもあります。
次の観光ポイントに移動するため、展示解説を読んでいる時間的な余裕がありません。
必然的に展示資料の外見的な価値を中心に見学することになります。
しかしそれでも、旅先で地元の博物館を訪問し、その雰囲気に浸る。
これだけでも十分に観光のコンテンツになります。

ブランド的なテーマを冠した展覧会も、展示解説が読まれないことがあります。
例えば、古代エジプト展です。
古代エジプトという言葉はブランドです。
ブランドイメージによる先入観は強力です。
この先入観により、古代エジプト展の会場で展示されている資料は、すべてが貴重なものであるという心理的な構えができます。

実際は、いかにエジプト展と言えども、すべての展示資料に外見的な価値が備わっている訳ではありません。
外見的な価値を備えていない地味な展示資料もあります。
しかし、そうした展示資料もブランドイメージにより、外見的な価値があるかのように認識されます。
展示資料を価値あるものとして認識するのは、それだけで楽しい体験です。
楽しむことが目的であれば、展示説明を読む必要はありません。
展示資料を価値あるものと認識しても、展示解説を読まなければ価値を知ることはできませんが、目的が異なるので問題にはなりません。

このように、博物館に行く目的は人それぞれであり、展示見学で解説を読むか読まないかは、目的によると言えます。