パッサナーのブログ

日々、考えたこと、行動したことを、書いています

冬が暖かくなり、覚える惜別の情

(2009.1.8、小樽市相生町、水天宮)
 
北海道の冬が、
暖かくなっています。
 
雪も、
少なくなっています。
 
2月14日の、
札幌の最高気温は、
10.8度。
 
4月中旬並みの、
気温となりました。
 
雪が解けて道路には、
大きな水溜まりが、
できています。
 
残った雪も、
シャーベット状になり、
堆積しています。
 
 
この原因として、
温室効果ガスの増加による、
地球温暖化の影響が、
示唆されています。
 
(北海道地方環境事務所の、
 ウェブサイトに掲載された資料、
 札幌管区気象台,2019,「北海道の気候変化について」,札幌管区気象台
 より。
 
 これは、
 2019年に、
 旭川市で開催された、
 環境省北海道地方環境事務所ほかの主催による、
 「気候変動の影響への適応に関するセミナー~身近な自然や生き物はどうなる?~」、
 における資料です。)
 
 
温室効果とは
大気中の温室効果ガスが、
地球の表面付近の大気を、
温める働きを言います。
 
地球温暖化とは、
温室効果ガスの増加により、
温室効果が強まって、
地球の表面の気温が、
上昇することを言います。
 
(同資料より。)
 
 
北海道の気温は、
様々な変動を繰り返しながら、
上昇しています。
 
北海道の年最深積雪も、
日本海側8地点の平均では、
10年あたり約4%の割合で、
減少しています。
 
(観測期間は、
 1962~2018年、
 観測地点は、
 稚内・留萌・旭川・札幌・岩見沢寿都江差倶知安。)
 
(同資料より。)
 
 
私は、
北海道の冬が、
暖かくなっていくことに、
寂しさを感じます。
 
暖かい方が、
生活が快適になる、
にも関わらずです。
 
これは、
北海道で生まれ育ち、
厳しい冬の寒さを、
経験してきた者が抱く、
哀惜の情です。
 
 
それは人が、
過去の記憶に、
愛着を持つからです。
 
人が動物と異なる点は、
過去への愛着です。
 
最近ネットで見た、
ある研究調査によると、
ボノボチンパンジーは、
長期間、
親しい仲間や人のことを、
憶えていたといいます。
 
これは、
過去の記憶への愛着が、
人間的な特質であることを、
物語ります。
 
 
北海道に住む人々は、
その気候風土の中で、
日々の暮らしを、
立ててきました。
 
暮らしの記憶は、
北海道の気候風土と、
分かち難く、
結びついています。
 
そして人々は、
暮らしの記憶と、
北海道の気候風土に、
愛着を持ちます。
 
 
北海道の気候風土は、
冬の寒さ、
雪の多さに、
代表されます。
 
それが、
北海道らしさです。
 
しかし、
冬は暖かくなり、
雪は少なくなる。
 
北海道らしさが、
失われてゆきます。
 
だから、
暮らしの記憶と、
北海道の気候風土に、
愛着を持つ人は、
北海道らしさが、
失われていくことに、
寂しさを感じます。
 
私は、
その一人です。
 
 
私は、
小学校の高学年を、
池田町で過ごしました。
 
帯広市の東に位置する、
 十勝ワインで有名な町です。)
 
厳冬期は、
-20度になる日も、
ありました。
 
身を切る寒さの中を、
元気に登校しました。
 
体育の時間は、
校庭に、
水を撒いて作ったリンクで、
スケートをしました。
 
学校から帰れば、
近所の公園で、
雪まみれになって遊びます。
 
ミニスキーやボブスレーで、
坂を滑るのは、
楽しいです。
 
毛糸の手袋に、
雪がくっつき、
長靴には、
雪が入ってきます。
 
日が暮れて、
家に帰ると、
ストーブの前で、
手袋と長靴を、
乾かします。
 
そして何よりも、
家族と一緒の空間の、
なんと、
温かかったことでしょう。
 
 
大人は大人で、
冬ならではの、
やることが、
あったと思います。
 
雪かきや、
屋根の雪下ろし、
夜には水抜きも、
していたでしょう。
 
(水抜きとは、
 寒さによる、
 水道管内の水の、
 凍結を防止するため、
 水道管の水を、
 抜くことです。
 
 水道管内の水が、
 凍結すると、
 体積が増え、
 水道管が割れたり、
 接続部分が破損する、
 危険があります。)
 
雪かきや、
屋根の雪下ろしは、
よく手伝いました。
 
 
私には、
こうした暮らしの、
記憶があります。
 
その記憶は、
冬の厳しい寒さと、
雪の多さに代表される、
北海道の気候風土と、
分かち難く、
結びついています。
 
そして私は、
暮らしの記憶と、
北海道の気候風土に、
愛着を持っています。
 
だから、
温暖化と少雪化が進み、
失われていく、
北海道らしさに、
惜別の情を、
覚えるのです。
 
 
確かに、
冬が暖かくなれば、
生活は快適になります。
 
しかし、
私が失うものは、
得られるものよりも、
大きいです。
 
故郷を失うような、
喪失感があるのです。