(2024.1.4、仙台メディアテーク、「細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム」展)
寺崎英子さんという方は、
存じ上げませんでしたが、
ご存命であれば、
お話をお聞きしたかったです。
寺崎さんは2016年、
75歳で亡くなられました。
1月4日に、
仙台メディアテークを訪問すると、
「細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム」展、
が開催されていました。
展示会名にある細倉は、
宮城県栗原市の旧鶯沢(うぐいすざわ)町にあった、
鉛・亜鉛を産出した細倉鉱山のことで、
1987年2月に閉山しています。
寺崎さんは、
1941年に旧満州で生まれ、
家族とともにこの鉱山に移り住み、
家業の売店を手伝いました。
閉山が決まった後、
町や人々、
暮らしを共にしてきた動物などの撮影を始め、
閉山後も、
空家になった建物や、
それらが壊される光景、
また、
かつての町が自然に還っていく様子を、
撮影し続けました。
371本のフィルム、
写真にして約1万1千カットを遺しました。
フィルムは、
ほとんどプリントされていませんでしたが、
2015年11月に、
小岩勉さんという写真家の方が、
寺崎さんからフィルムを預かり、
2023年3月、
写真集「細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム」、
が刊行されました。
寺崎さんが、
小岩さんにフィルムを預けた翌年、
亡くなられたのは、
大変残念です。
しかし、
小岩さんや関係者のご努力により、
寺崎さんの撮りためてきたフィルムが、
写真集として結実したのは、
本当に良かったです
展示は、
この写真集の作品を中心に、
未発表作品や、
撮影ノート、
手紙、
俳句や短歌などから構成されています。
(寺崎さんは、
俳句や短歌もたしなんでおられました。)
展示されていた写真は、
木製の板に貼り付けられており、
一枚の板ごとに、
消えていく長屋、
こどもたち、
のように、
テーマが設けられていました。
板にはほかに、
撮影ノートの記載内容や、
テレビや新聞のインタビューへの回答、
また、
俳句や短歌も書かれていました。
写真の傍らに掲げられた、
こうした言葉は、
撮影するときの、
寺崎さんの思いを知る、
手がかりになるのではないでしょうか。
空家なる
社宅へ声を掛けみれば
盛りし頃の鉱山の音する
(平成5年4月ころ)
私は、
この短歌が、
心にしみました。
空家を前にして、
寺崎さんが感じたであろう、
懐かしさと寂しさが、
直に伝わってきます。
展示室には、
自由に書けるノートが置かれており、
たくさんの方々が、
思いを書かれていました。
なかには、
細倉鉱山に所縁のある方も、
おられました。
そうした方々にとって、
この展示会は、
琴線に触れるものがあったのでは、
ないでしょうか。
私も、
この展示を見学することができて、
嬉しく思います。
仙台メディアテークのスタッフの皆さま、
今回、
貴重な見学の機会を提供して頂き、
ありがとうございました。